アメリカのプロスポーツ選手は、遠征で試合をした州や市ごとに所得税を申告します。通称「ジョック税」。年俸を勤務日数で按分し、1シーズンで20前後の州・市に申告書を出す選手も珍しくありません。そして2023年12月、大谷翔平選手がドジャースと結んだ10年総額7億ドル(約1,050億円)の契約は、97%にあたる6.8億ドルを2034年以降に後払いする設計だったことから、カリフォルニア州の会計監査官が連邦議会に「後払い報酬に上限を」と求める声明を出す論争に発展しました。試合に行くだけで課税される仕組みと、州をまたぐ「後払い」を巡る攻防、そして日本で外国人選手が試合をしたときの源泉徴収との違いまで、一次情報で整理します。
仕組み:年俸を「勤務日数」で切り分けて、州ごとに課税
ジョック税は、正式な税目の名前ではありません。アメリカの多くの州は「州内で働いて得た所得」には非居住者にも州所得税を課しており、これを遠征の多いプロ選手に厳格に適用したものの俗称です。計算の基本は「デューティー・デイズ(勤務日数)方式」と呼ばれる按分です。
- キャンプ初日からシーズン最終戦までの「勤務日数」を数える(試合だけでなく練習・ミーティング・移動日も含む)
- そのうち、各州・市で過ごした勤務日数を数える
- 年俸 ×(その州での勤務日数 ÷ 総勤務日数)が、その州の課税対象になる
計算イメージ(架空の選手の例)
年俸30億円・年間の勤務日数200日の選手が、カリフォルニア州に遠征で10日滞在した場合:
30億円 × 10日 ÷ 200日 = 1.5億円がカリフォルニア州の課税対象。同州の最高税率13.3%が当てはまる高額年俸なら、この遠征分だけで州税は最大約2,000万円になる計算です。
- 課税するのは州だけではありません。フィラデルフィアやクリーブランドなど、市が独自の所得税を非居住者の選手に課す例もあります
- 選手は居住州で全所得を申告したうえで、遠征先で払った税の分は居住州の税額から控除する(二重課税を調整する)仕組みです
- 対象は選手だけではなく、帯同するコーチ・トレーナーらにも及びます。遠征の多い球団スタッフも同じ問題を抱えます
なぜ生まれたか:発端は1991年のマイケル・ジョーダン
広く知られるきっかけは、1991年のNBAファイナルです。シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンがロサンゼルスでレイカーズを破って優勝すると、カリフォルニア州は「州内で稼いだ分」としてジョーダンら遠征選手に州所得税を適用しました。
これに反発した地元イリノイ州は、直後に「自州の選手に課税してくる州の選手には、こちらも課税する」という報復的な法律を作ります。この法律は通称「マイケル・ジョーダンの復讐」と呼ばれ、以後、プロチームを抱える各州・各都市が次々と同様の課税に乗り出しました。裕福な非居住者であるプロ選手は、その州の有権者ではないため、政治的に課税しやすい相手でもあったと指摘されています。
課税の広がりとともに、「どう按分するか」を巡る争いも起きました。オハイオ州クリーブランド市は、勤務日数ではなく「試合数」で按分する独自方式を採っていましたが、2015年にオハイオ州最高裁が「市外で行われた労働にまで課税しており適正手続きに反する」と違憲判断を下しています。この裁判では、市での滞在が年2日だったNFL選手が、試合数方式だと年俸の5%も市に課税されていました(勤務日数方式なら約1.25%)。以後、勤務日数方式が標準として定着しています。
結果:13.3%のカリフォルニアと「1,020億円の後払い」論争
ジョック税の帰結としてよく語られるのが、「どの州のチームと契約するかで手取りが変わる」という現象です。ホームゲームは勤務日数の大半を占めるため、本拠地の州の税率の影響が最も大きくなります。
| 州 | 個人所得税の最高税率 | 本拠地を置く主なチーム |
|---|---|---|
| カリフォルニア州 | 13.3%(12.3%+100万ドル超に1%)。給与にはさらに上限なしの州障害保険料1.3%(2026年) | ドジャース、パドレスなど |
| ニューヨーク州 | 10.9%(ニューヨーク市はさらに市税あり) | ヤンキース、メッツなど |
| フロリダ州・テキサス州・ネバダ州・ワシントン州・テネシー州 | 0%(州個人所得税なし) | レイズ、レンジャーズ、マリナーズなど |
この「州の差」を一気に有名にしたのが、大谷翔平選手の契約です。10年総額7億ドルのうち6.8億ドル(約1,020億円)を、契約期間終了後の2034〜2043年に毎年6,800万ドルずつ後払いし、在籍中の年俸は年200万ドルに抑える設計でした。球団側・選手側は、ぜいたく税(総年俸課徴金)の計算を抑えてチームの補強資金を確保するためと説明しており、後払い自体はMLBの労使協定でも認められた適法な契約です。
論争になったのは州税との関係です。連邦法(1996年の公法104-95、合衆国法典第4編114条)は、「10年以上にわたり実質的に均等な分割で支払われる」一定の退職後の報酬には、支払時点で住んでいない州は課税できないと定めています。つまり、後払い分を受け取る2034年以降に大谷選手がカリフォルニア州の居住者でなければ——たとえば日本に帰国していれば——同州はこの巨額報酬に課税できない可能性が高いのです。
- 2024年1月、カリフォルニア州のマリア・コーエン会計監査官は「現行制度は最高税率層に無制限の後払いを許している」として、連邦議会に後払い報酬への上限設定を求める声明を出しました。民間シンクタンクのカリフォルニア雇用経済センターの試算では、州の税収が最大約9,800万ドル(約147億円)失われ得るとされ、コーエン氏もこの数字に言及しています
- 州議会上院は2024年4月、連邦議会に制度見直しを促す決議(SJR14)を32対6で可決しましたが、下院では審議されないまま同年11月に廃案になりました。連邦法も2026年8月時点で変わっていません
- 注意したいのは、これは「大谷選手が税金を逃れた」という話ではないことです。連邦所得税は受け取り時に課税されますし、州税がどうなるかは10年後の居住地など未確定の要素次第です。批判の矛先も選手個人ではなく、後払いを無制限に認める連邦法の設計に向けられています
日本との比較:遠征先課税なしの日本、来日試合には20.42%
日本にジョック税はありません。国内の所得税は全国一律で、地方の住民税も1月1日時点の住所地の自治体が一括して課税し、税率も標準で10%とほぼ全国共通です。福岡での試合が多いか札幌が多いかで選手の税負担は変わりません。州ごとに税率も申告書も違うアメリカとの、連邦制の有無からくる大きな違いです。
一方、外国からやって来た選手が日本で試合をした場合には、日本にも「役務を提供した場所の国が課税する」という考え方があります。
| アメリカ(ジョック税) | 日本(非居住者への課税) | |
|---|---|---|
| 課税の単位 | 州・市ごと(数十件の申告になり得る) | 国で一本 |
| 計算方法 | 年俸を勤務日数で按分 | 国内での役務提供の対価が国内源泉所得 |
| 徴収方法 | 州ごとの申告(球団による州税の源泉徴収も) | 支払時に20.42%の源泉徴収(復興特別所得税を含む)で原則完結 |
| 条約による例外 | 州税は租税条約の対象外 | 日米租税条約16条:年間の総収入1万米ドル以下なら免税。超えれば課税(プロ選手には短期滞在者免除の適用なし) |
- 2025年3月にドジャースとカブスが東京ドームで開幕戦を行ったように、MLBの公式戦が日本で開催されると、米国居住の選手にとってその試合分は日本の国内源泉所得になり得ます。俳優・音楽家・プロ選手は多くの租税条約で「役務提供地で課税してよい」特別扱いとされており、会社員の出張に適用される短期滞在者免除(183日ルール)が使えません
- 日本のプロ野球に来た外国人選手も、来日後に日本の居住者となるまでの非居住者期間の報酬は20.42%の源泉分離で課税され、居住者になれば日本人選手と同じ累進課税に変わります
- つまり「よその国・州から来た選手のひと稼ぎに、その場所が課税する」という発想自体は日米共通で、アメリカはそれを州・市の単位で徹底している、という整理ができます
日本人に関係するケース:海外で稼ぐと「現地課税→日本で調整」
ジョック税そのものはアメリカの制度ですが、「稼いだ場所の国・州に課税される」原則は、プロ選手に限らず海外で報酬や賞金を得るすべての日本人に関わります。
- 日本人メジャーリーガーは多くが米国の税務上の居住者となり、連邦税に加えて遠征先の州・市ごとにジョック税の申告をしています。契約金額の額面と手取りの差が大きいのはこのためで、無税州のチームか、カリフォルニアかで条件が変わります
- ゴルフ・テニス・eスポーツなどの海外大会で賞金を得た日本居住者は、まず現地で源泉徴収され、そのうえで日本の確定申告で全世界所得として申告し、外国税額控除で二重課税を調整するのが基本の流れです。現地で引かれた税の証明書類は必ず保管してください
- 高い年俸の世界の話に見えますが、按分や限界税率の考え方は身近な税金と地続きです。日本の累進課税で所得が増えると負担がどう変わるかは年収1000万円の税金の記事で、住む場所(居住地)で課税がどう決まるかの日本側のルールは外国人富裕層の日本移住と税金の記事で整理しています
- なお、報酬を「後で受け取る」ことで課税のタイミングと場所が変わる構図は、日本の退職金の税制(受け取り時に分離課税・大きな控除)とも通じます。制度が「いつ・どこで受け取るか」に大きく反応するのは、日米共通です
今日やること
今日やること
- 海外の大会・案件で報酬や賞金を得た(得る予定がある)人は、現地で源泉徴収された金額の証明書類を保管し、日本の確定申告での外国税額控除の要否を確認する
- 自分の限界税率(所得が1万円増えたら税金がいくら増えるか)を源泉徴収票や住民税決定通知書で確認してみる。カリフォルニアの13.3%との比較が実感に変わります
- 海外出張・海外リモートワークが長い人は、滞在先の国に課税されない条件(租税条約の短期滞在者免除・183日ルール)を勤務先と確認する
よくある質問
Q. ジョック税は正式な税金の名前ですか?
A. いいえ、俗称です。アメリカの多くの州・一部の市が持つ「非居住者が州内で働いて得た所得への課税」を、遠征の多いプロ選手に適用したものを指します。年俸をキャンプから最終戦までの勤務日数で按分し、その州で過ごした日数分を課税対象とする「デューティー・デイズ方式」が標準です。
Q. 大谷翔平選手は税金を逃れているのですか?
A. いいえ。後払い契約はMLBの労使協定で認められた適法なもので、球団の補強資金を確保する目的と説明されています。連邦所得税は受け取り時に課税されます。論争になっているのは、1996年の連邦法により「10年以上の実質均等な分割払い」の報酬には支払時に住んでいない州が課税できないため、将来の居住地によってはカリフォルニア州の税収が減り得るという制度設計の問題で、批判は選手個人ではなく連邦法に向けられています。
Q. 日本にもジョック税のような仕組みはありますか?
A. 都道府県ごとに税率が違う遠征先課税はありません。住民税は1月1日の住所地が一括課税し、税率も標準10%でほぼ全国共通です。ただし「役務を提供した場所の国が課税する」考え方はあり、外国居住の選手が日本で試合をして得る報酬は国内源泉所得として、支払時に20.42%の源泉徴収の対象になります。
Q. 日本人が海外の大会で賞金を得たらどうなりますか?
A. 日本の居住者であれば、まず開催国で源泉徴収され、そのうえで日本の確定申告で全世界所得として申告します。現地で納めた税は外国税額控除で調整できるのが基本ですが、控除には現地の納税を証明する書類が必要です。個別の判断は税務署・税理士に確認してください。
参考リンク(出典)
※ 数値は2026年8月時点の公表資料・報道にもとづきます。米ドルの円換算は1ドル=150円の概算です。本記事は米国の税制と報道された論争を紹介する情報提供であり、特定の個人の納税額を示すものでも、特定の個人・団体を批判する趣旨のものでもありません。個別の税務のご判断は税務署・税理士など専門家にご確認ください。



